先日、古銭が好き!と言う記事を書いたのですが
紙物も好きです。(古書、古新聞、雑誌、ハガキ、小さい浮世絵など)
古いものは古銭と紙物を中心に収集しています。
↑よく見ると全裸のおじい達が夕刊のグラビアを飾っています。
コレクションの中でもお気にいりの、南紀白浜シリーズ(←私が勝手に呼んでいる名称です)
絵葉書とガイドです。
豊かな発色と色彩センスが抜群!旅行へ来たワクワク感を味わえます。
これを使って当時の人たちも白浜旅行を楽しんだのでしょうか。
特にこのパンフレットは、配色も可愛くて見応えがあります。
地図だけでなくお土産の広告もあって楽しいですね。
ここに書いてあるお土産屋って今でも売ってるのかな。
食べてみたいな〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ということで、調べてみました。
なんと、かどや、美好屋、福菱の3店舗は現在も営業されているようです!
以下詳細です。
かどや 大正13年(1924年)創業
2020年に直営店は閉店してしまったものの、白浜町内にあるとれとれ市場の一角にて現在も販売されているそうです。
ガイドにある貝の夢、柚羊羹は確認できませんでしたが、白浜小町は現在も製造されておりとれとれ市場のオンラインショップで購入できます。
美好屋
徳川家の家紋を表した最中は現在でも製造しており、同社HPでお取り寄せ注文ができます。
(白浜観光協会へのリンクを踏むとなぜか女性の大人向け漫画のおすすめ作品を紹介しているサイトへ飛ばされるので未成年の方は見ないようにしよう!←なんでこんなことに?)
福菱 昭和8年(1933年)創業
↑貝のなんとか
貝のなんとかは確認できませんでしたが、はまゆうは現在も製造されておりますし、姉妹菓子であるかげろう、そして柚もなかが美味しくて有名な御菓子屋さんとして今でも愛されています。
福菱さんはとれとれ市場のオンラインショップにも出店されています。
今回は、かどやさんの白浜小町と福菱さんの柚もなかを取り寄せてみました!
ワクワクすること一週間————
やった〜〜!届きました!
ダン箱に書いてあるこいつ可愛い!
昔のパッケージはどんなだったんだろう。
まずは柚もなかを食していきます。
わ〜〜〜〜!福菱って書いてある紙だ……!!!
本当に今もやってるんだ……超すごいなあ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
うま!!!!
めっちゃ甘さ控えめで柚々しいあんこが最高!香りも豊かで想像していたより柚が強い!
続いて白浜小町です
待って!!!!!!!!!!!!!!!!
木のピックついてる!!!!!!!!!!!
しかも形状がスタイリッシュ。お土産でこれもらったら嬉ションしてしまうかもしれません。
(赤福も木のスプーン見たいなのがついてるので好きです。)
そんでもってめっっちゃ
うま!!!!!!!!!!!!!!
めっちゃ美味しいあんこをうっすいお餅で包んでいます。天才の発想です。しかも外側にはきなこ!
食べるとふわっときなこの香りがして世界で一番満たされた気持ちになります。
これを賄賂でもらったらなんでもしちゃうな。ってくらいうまいです。
あ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜うめ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
白浜最高〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
来年は絶対白浜へ旅行に行こうと決めました。
絵葉書の場所の現在も調べてみたいし。とれとれ市場で売ってる刺身めちゃくちゃ美味そうだし。
【ここから追記!!!!!!!】
ところで、このパンフレットはいつ頃発行されたのでしょうか
バスコースと大々的に書いてあり地図が真ん中にあるため、明光バスが観光バスの説明と宣伝をするために発行したものだと考えられます。
明光バスが創業したのは1930年(昭和5年)なので、とりあえずそれ以降のものですね。
また、書いてある電話番号が三桁であることから、電話交換手時代だと思われます。つまり、自動電話交換機が普及する1960年代頃までには発行されているはずです。
さらに年代を絞れるワードを発見しました。
ここに、明光タクシーと書かれています。
明光タクシーが明光バス株式会社からタクシー部門として分離独立したのは1951年(昭和26年)のことです。
固有の電話番号も書いてあるのでおそらくこのパンフレットが発行された頃には独立済みのはず…。
かなりざっくりですが、表の面から得られる情報はこんなところでしょうか。
これらの情報をまとめると、
1930年(明光バス創業)
1951年(明光タクシー独立)〜1960年頃(自動電話交換機普及)
本編では割愛しましたが、裏面はこんな感じです。
真ん中のページに注目すると、下部に白浜大阪間の列車の時刻表があります。
次はここに書いてある列車が運行していた時期を調べて、発行年を絞ってみます。
名前の付いている列車の便が全て準急として運行しているのがポイントです。
各列車の運行開始年と、急行化した年の一覧です。
一番遅く運行が始まった年をデカくしたのでそこだけ見てください。
準急しらはま 1956年(昭和31年)〜(1966年急行化)
準急くまの 1952年(昭和27年)10月〜 (1961年急行化)
準急なんき 1952年(昭和28年)11月〜 (1966年急行化)
準急はまゆう 1954年(昭和29年)〜
これで、先ほど表面から出した年代よりも正確な年がわかりました。
1956年(昭和31年)〜1960年(昭和35年)以前の4年間!!!!!!!!!!!!!!!!!
さて、参考文献として読んだ資料によると、観光地「南紀白浜」としての開発が始まったのは大正初期の時代だそうです。(白浜にはもともと湯崎温泉という有名な温泉地がありますが)
南国チックと白い砂浜という異国情緒をテーマにリゾート地として発展してきた南紀白浜は戦後、お色気のメッカとまで称されるほどにピンクムードのある歓楽街としての趣も見せていきます。
1959年が歓楽街化のピークとなり、年間宿泊者数が100万人を超える一方で女性には行きづらい場所であったり、温泉観光地の熱海先輩には「ヌードだったら白浜に行きなさい」とまで言われる始末。
1958年に売春禁止法が施行されたり、1960年の暴力団追放運動の影響によってピンクムードは一気に下火になったそうです。
その後、白浜全体が健全な観光地として宣伝を行い、1970年には新婚旅行のメッカと呼ばれるほどイメージの刷新に成功したとのことです。
ここでもう一度、ガイドをご覧ください。
特に裏面は、素敵な観光地の説明があります。民謡まで載っていて白浜の文化を覗くことも出来ます。(新白浜小唄の二番に『バックミラーの片えくぼ』って歌詞があるけど、民謡にしてはハードボイルドが過ぎる)
発行された年数は歓楽地化の全盛期の頃のはずですが、ピンク要素を全く感じられません。
もちろん当時も歓楽街的要素だけが売りなわけないので、こういった方向性のガイドがあって当たり前です。しかし、時代背景を鑑みるとこのガイドが持つ意義を想像してしまいます。
ただ楽しそうなガイドだなあと思って見てきましたが、歴史的背景を見るとその楽しそうで健全な雰囲気は一枚岩のものではなく、多重に重なる観光地としての変革や地元民の思いといった、大きな流れの中の一要素であるということが感じられて大変興味深かったです。
こういう全然知らなかったことが知れるので古物集めはやめらんねえぜ!と思いますし、自身も歴史の中のちっちゃいちっちゃい塵くらいの小さな存在なんだなあというのが否が応にでもわからされるこの感覚は最高に爽快です。
これからも古物との良き出会いを大切に生きていきたいです。
(おしまい)
【参考文献】
準急なんき
https://betsunoka.web.fc2.com/n/nanki8.html
準急はまゆう
https://betsunoka.web.fc2.com/h/hamayuu8.html
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjhg1948/53/5/53_5_430/_pdf